DTAL(旧RCEAL)留学記録

2010年1月から2014年半ばまで在学していたケンブリッジ大学理論・応用言語学科でPhDを取得するまでの記録です。

現在までの流れ-1/4

これから数回に分けて、これまでに留学のために行ったこと、現在の状況、今後の計画を記します。


前回のエントリーで述べたように、私はPhDは海外で取得すると早い段階で決めていました。海外で学位取得を目指す場合、まずネックとなるのが授業料を始めとする金銭的負担です。英米の大学では年間授業料が数百万円に上ることもあり、一般的な家庭で育った場合は何らかの奨学金を受けない限り留学は難しいでしょう。幸か不幸かこれまで私は奨学金をもらったことがなく、留学のための奨学金についても大学院入学時点では何の知識もありませんでした。しかし大学院入学直後に先輩が文科省奨学金を受け、PhD取得を目的に英国の大学に留学されることを知りました。どうやらその奨学金は授業料のほか生活費までカバーしており、返済の必要もないようです。このような奨学金があるのであれば、国外でPhDを目指す目標も実現するかもしれないと思ったのもこの頃でした。翌年(=昨年)に大学院で同期の友人が同じ奨学金でやはり英国に修士を取りに留学するのを知り、この思いは更に強まりました。他の奨学金もいくつか調べてみましたが、これほど条件の良いものは見つからず、去年の今頃には文科省奨学金しか考えていませんでした。


この奨学金は例年11月末に募集要項が発表され、年始に応募という流れでした。そのため12月は書類集め等で忙しくなると読み、夏休み中に修士論文に見通しを付けて11月には自大学の博士課程入試(12月の頭に出願)のための研究計画書を書くと共に留学希望先を絞る(奨学金応募時に留学希望先を記す必要があり、これは後からは変更不可であるため)という計画を立てました。人並みの山や谷はあったものの、修士論文に関しては夏休みが終わる頃には何とかなりそうだという手ごたえを得て、10月末にはあとはひたすら書く時間さえ何とか確保できれば完成しそうだと感じていました。


そして山場の始まりと読んでいた11月を迎えたのですが、ここも当初覚悟していたよりはスムーズに事が進みました。研究計画は修士論文の流れを継ぐ形で(もちろん先行研究を読み込む時間は必要であったものの)比較的短期間で書けました。志望大学については「SLAコーパス(及び言語処理)の両分野を同時に学べるところ」が条件でした。漠然とコーパスであればイギリスだろうと考えアメリカの大学はほとんど調べていなかったのが災いし、気づいた頃には既に米国の大学への出願は厳しい(出願期間が早いため)という状況でしたが、幸いにして今でも現時点での志望大学群よりも自分に合うPhDプログラムが提供されている米国の大学は見つかっていません。さて、上記条件を共に高いレベルで満たすプログラムは、意外と多くありません。指導教官の先生に相談させて頂いた後に、大分南の方の大学を第一志望に、東(日本からだと西)の方にある大学を第二志望に据えることにしました。


ここまでは全てが順調でした。